宝塚スカイアタッカーズ 監督のブログ

宝塚市 小学生・中学生 男子・女子 バレーボールクラブ

阪神大震災

阪神大震災から、今日でちょうど12年ですね。

自分は二十歳のときでした。



僕の住むのは、兵庫県阪神地区。

震災も、被害が出たところです。



あの時は、実家で弟と2段ベットで寝ていました。




早朝5時46分。

ゴゴゴゴゴ…と言う音が聞こえます。

と同時に、横ではなく、縦の大揺れがやってきました。




タンスも倒れ、ステレオのスピーカーは落ちてきて、

古い家なので土壁も全部落ちました。



屋根の瓦も、落ちていく音。。。





しかし、何とか家自体は無事でした。




恐る恐る、家族で1階に降りると

ガラスの破片や、割れた食器、

とにかく、グチャグチャでした。




すぐご近所の方が亡くなられたと聞きました。




ガス、水道、電気のライフライン

全てストップ。

と言うか、外がガスくさかった。。。




水は、自分の通った小学校まで

容器を持って毎日通ったし、


結局、ガスが復興するまでの3ヶ月間、

お風呂にも通ったし、母親は携帯コンロで料理をしてくれました。




全て買い尽くされ、

何にも置いてない『コンビニ』も

今となっては懐かしく思います。




自分自身、随分と風化した気がします。。。

当たり前のように、蛇口をひねると水が出て、

スイッチ一つで電気がついて

暖房も冷房も、テレビもついて、、、




『当たり前』って、実は当たり前ではないんですよね…。




世界の人、全てが

日本人と同じ水準で生活をしたとしたら…

地球はイッキに滅亡するそうです。



それだけ、日本人は裕福な贅沢な暮らしをしているんですね。。。





とにかく、12年前の阪神大震災

忘れてはいけません。。。





わがクラスの子どもたちは

ちょうど12歳。

震災の年に生まれた子どもたちです。

だから、地震の事は、全員知りません。

生まれたてか、まだお腹の中か…だったんですね。




うちの学校も、子どもが地震で亡くなりました。

学校は避難場所になりました。

90以上の家庭が、全半壊の被害にあいました。





そんな学校が、いよいよあと2ヶ月で取り壊されます。




校舎改築で、4月から新校舎になります。

だけども、

色んな『記憶』の詰まった

今の古い古い校舎を、

ずっと忘れてはいけないのだな…と感じました。